1954-08-13 第19回国会 参議院 建設委員会 閉会後第2号
それを上手なマジツクを使つて辻棲を合わせようというのですか、事業量と事業費というものを……。今のセメントのあれもそうでしよう。細かい資料は頂戴しますけれども、各実施部門をあずかつておる各局長は誰か一人代表して答弁して下さい。地方の各県の土木部長はどうしたらよいかと言つて苦しんでおるに違いない。
それを上手なマジツクを使つて辻棲を合わせようというのですか、事業量と事業費というものを……。今のセメントのあれもそうでしよう。細かい資料は頂戴しますけれども、各実施部門をあずかつておる各局長は誰か一人代表して答弁して下さい。地方の各県の土木部長はどうしたらよいかと言つて苦しんでおるに違いない。
○江田三郎君 そこでこの辻棲を合せるような乱暴な鉛筆計算をされたつて辻棲は合つていないのですよ。これは改めて議事録ができますから、この議事録をずつとお読み下さい。
従つて辻棲を合せて法律案はこう絶対しなければならん。一つの法律案の改正をすることを前提として予算ができて来ておる。その予算が通過はしたが、法律案のほうでどうなるかという問題になつて、その行政措置が結果として適切であるとか、ないとかいう論議になつて来たわけなんです。だから根源に立至るならば、予算と結んだこの法案の仕方、一連のこのやり方に政府として問題があり、責任があるはずなんです。
従つて辻さんの言われるがごとく、内部において辻さんのところに行けばぐあいが悪い、こういうことがまたあつてはならぬし、私はないと信じます。なお加藤人事局長はこういう点もひとつ十分に考慮していただきたい。同時に、林幕僚長は人格者だ、こういうことを言われます。私も知つておりますが、いかに人格者でも監督が不行届な場合は、これはやむを得ない。
そこでこれは、辻さん自身がおれは取消す意思がないと言うのでありますから、これは平井君がいくらどの部分と言うて救うとしても、辻さん自身がどこも取消す意思はありませんと言うのを、どこかだけを引出して取消させようとしてもそれはむだなことでありますから、その問題をおやめになつて、辻さん自身が取消す意思がないというならば、これは委員会で適当に扱うよりほかにしかたがないことだと思うのでありますが、われわれもこういう
○大矢委員 車両とか通信機というもので、実際はせんだつて辻さんが言われたように、野党はみな軍隊だ々々々と言うけれども、あれは軍隊でも何でもないのだということが、われわれそれでよくわかるのですが、現に何もない。
ところが、今の「お手盛り」以下最後までの段階は意見の開陳であつて、しかも批判のようなことであつて、辻さんが聞かんとした質問の内容とは何にも関連性のないことです。その以下全部抹殺しても、前の質問に影響もない。関連もちつともありませんから、できれば「議員はお手盛り」以下最後まで取消してもらえれば、完全な質問になつて行くと思います。「お手盛り」云々といつて、一行ぐらい消したつて、意味をなさない。
これをそのうち一億三千九百万円は無料葉書が三万枚のが一万約に減少になりまして、それで浮いて中る金が一億三千九百万円、あとの四百八十万円は、これは調整費が二千万円ございますので、これを食つて辻棲を合せる、こういうことになつております。 それから法律の修正の箇所で一つ問題になりまするのは施行期日の点であります。
あとで具体的な国内法で措置されるのである、或いは現行法に抵触するものを改正して行つて辻棲を合せればいいのだという考え方でなしに、基本的には国会の承認を得て、そうして條約同様に、了解が得られた上で関係法律案というものが出て来るというあり方が正しいのではないか、こういうことに対して御答弁を願つているわけです。
一つは収入を図る上において政府が專賣品の價格の大幅引上げをやるとか運賃並びに通信料金の大幅の引上げをやるとかいつたようなことで、即ち大衆負担の増加によつて辻棲を合せておる一面があるのでございます。他面におきまして復興金融金庫に相当の大きな負担を掛け、即ち辻棲を合せる。その辻棲を復興金融金庫に負担させるといつたような考え方が予算の中に出ておるという点について不満を持つのであります。
人あいるは、この場合における献金はいわゆる浄財であつて、辻氏事件または亀井氏事件における献金のごとく、犯罪によつて得た金ではないから、それが公然と行われる限り、何ら差支えないというかもしれません。しかしながら、本件に現れる土建業者のごときは、いずれも日本における屈指の業者であつて、終戰以來、その業務の内容は、國家または公共團体よりの工事請負がはなはだしく多いのであります。
しかるところ昨年檢察廳から書面がまいりまして、辻嘉六との関係並びに昨年の選挙当時の資金関係のお尋ねがありましたので、当時の記憶に從つて、辻との関係を述べ、さらにまた資金関係につきましては、当時の記憶を辿つて、もらつた憶えがないと申し上げたつもりであります。
従つてその場合には辻氏との金銭関係でなく、辻氏は政界とどういう関係があるか、政界にどういう発言権をもつているか、あるいは辻氏がたれにもらつて、どこに献金しているかというように、広く政治資金を根本にして話を伺つているのであつて、辻氏から金をいくらもらつたというようなことは、ただお尋ねする一部の事項にすぎないという考えで、証人という立場で出てきて宣誓をしてもらつているのでありますが、どうもそういう解釈はいかぬ
この諸君の証言を求めることによつて、辻氏関係の事件と同樣に、政治資金糾明の資料としたいというところにあるのであります。右証人の取調べについて御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
従つて辻さんがさような話をしなかつたならばしなかつた、私にはしないから從つて聽いておらぬという明確な答弁をされるか、そういう話をされたかもしれぬけれどもというような語尾を濁すことが非常に私は將來に大きな禍根を残すと心配するものですが、從つてあなたがこの際聽かなかつたか、聽いたかという点をはつきりしておく必要がある。かように私は再度あなたに質問をするのであります。
○中野(四)委員 大体世耕君からの証言によつて、辻さんと世耕君の金銭授受の問題は明確になつたと思いますが、ただゆるがせにならぬことは、先ほど武藤委員長の質問に対する。さようなことを頼まれたことはあるかもしれないけれども、私の記憶にないというデリケートな言葉は、將来大きな禍根を残すと私は思うのであります。少くとも自分に記憶がないものなれば、さようなことを頼まれた覚えなしと明確にされる必要がある。
從つて辻嘉六のところで中野君と会つてということ田、とりもなおさず政治家の出入りという中の一人には当然に数えられるべきものである。それを全然知らないと言うのはもつてのほかだと思います。
年賀状の出し合いをすることのできるときには、私は年賀状を私の名簿によつて辻さんにも出しました。辻さんからも年賀状を頂載いたしました。そういうような関係で、その後は辻さんとお会いする機会がまつたく私はなかつたのです。しかし私がその事件の依頼を受けた当時、約四年間ばかり係属した事件ですから、その間はたびたび辻さんとお会いしました。
○中野(四)委員 その節自由党の総裁として党議によつて反共連盟を提唱なさつていらつしやるのですが、聞くところによると反共連盟を提唱する原因は、兒玉機関の兒玉譽士夫さんが辻さんとの関係が密接であつて、從つて辻老人の進言によつてかなり強く自由党において反共連盟の提唱をされたというふうに聞いておりますが、その点はいかがですか。
○武藤委員長 從つて辻氏のところへ臨床尋問に参りますのは二十八日にいたしたいと思います。参る者は武藤委員長と高橋君、小松君、この三名にいたしたいと思います。御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
從つて辻氏はそういうことに対する報酬の観念でくれたか、あるいは終戰直前に家屋や何かの賣買に努力したことに対してくれたのか。とにかく好意をもつてそれを受取つておいたというのが眞相なのです。だから辻氏のところへ手紙をやつたとかなんとかということは、多くの人にやつたためにおそらく混同してそういうことを言つておると思います。その点は違います。
○武藤委員長 実は先ほど一般的に申し上げましたが、あなたと高源さんの場合は少し違うのであつて、辻が檢事局でこういうふうに述べておる。 「應援の資金として渡しておるわけですが、そのような私の知合いの政治家が七、八十人もあります。金をだれに何ほどやつたかということについては、先方に非常に迷惑を及ぼすという私の思いやりから、私としては立場上この際申し上げたくないのです。
○原証人 ときどきは受取つて――辻さんの都合のいいような場合においては相当の額をくださることもあれば、あるいは半年一年全然そういうことのないこともありますから、今その点についての記憶はありませんがでとにかく同じように受取つておることはあります。
どういうぐあいに本件に関連されているか、先ほど白石証人が言われた程度のことは終戰前の問題であり、殊に家屋建築問題は、辻氏の手を通じた問題ではないというふうに私は今まで承つておりますが、中曽根から辻へ渡つて、辻から鳩山氏にその建築資金なるものが渡つているのかどうか、辻がやはりこれに関與しているのかどうか、その点もしはつきりしているようでありましたならば、私の理論も少しは変えていいと思いますけれども、そうでなかつたら
そうしたら河野さんがおつて、辻さんが言うには、小澤というのは君か、そういう話をして、二万円放り出して、わずかだかと言つた。
その封書はあとになつて、辻先生の所に來ている手紙の中に、その両名の封書を見出しましたので、それを先生が檢事に申し上げた後に、中野寅吉、山本喜助の両名からはこういう手紙が來ているからということで、後日参考に私がもつていつたはずであります。そういうふうに記憶にありますが、もつと私の記憶を喚び起すに的確な資料がございましたら、お示しを願いたいと思います。
○佐久間証人 私と辻さんとは約三十年以前からの知合いでございまして、昭和二十年の四月、五月の二回の戰災に遭つて、辻さんの近くに仮住居をしておりました。その当時主食の心配をしていただいたということや何かで、非常に私は感激をもつて、その以前から交際はしておりましたけれども、何の援助を受けておりません。